「コロッケって、フランス料理のクロケットでしょ?」そう思っている人は多いかもしれない。でも実は、私たちが毎日肉屋で見かけるあの「じゃがいもコロッケ」は、日本で独自に発展した料理なのだ。しかも大正時代には、トンカツよりも値段が高かったという驚きの事実まで!
コロッケのルーツはフランスにある…!
コロッケの名前はフランス語の「croquette(クロケット)」から来ている。フランスのクロケットは、肉や魚介のミンチをベシャメルソースで混ぜてパン粉をつけて揚げたもの。じゃがいもはほとんど使われていなかった。
日本にこの料理が伝わったのは明治時代。1887年(明治20年)の料理本にはすでに「コロツケ」という名前が登場している。最初は西洋料理店だけで出される高級品だったが、やがて日本独自の進化を遂げていく。
その転換点になったのが「男爵いも」の普及だ。1907年(明治40年)に北海道で栽培が始まった男爵いもは、その後日本中に広まり、安くて手に入りやすい食材になった。「じゃがいもをメインに使う」というアレンジは、フランスのクロケットにはない日本独自の発明。つまり私たちが知るコロッケは、日本人が作り上げたオリジナル料理なのである。

大正時代、コロッケはトンカツより「高級品」だった
意外すぎる事実がある。1917年(大正6年)当時の料理の値段を見てみると——
- 豚カツ(トンカツ):13銭
- ビーフステーキ:15銭
- コロッケ:25銭
そう、コロッケはトンカツよりも高かったのだ!今では「庶民の惣菜」の代名詞なのに、当時はちょっと贅沢な洋食だったわけである。トンカツ・カレーライスと並んで「大正の三大洋食」と呼ばれるほど人気があった。
しかもこの年、「コロッケの唄」という歌謡曲が大ヒットしている。「ワイフもらって嬉しかったが、いつもコロッケ、またコロッケ」というような歌詞で、毎日コロッケが続く家庭を面白おかしく歌ったもの。コロッケが当時の食文化にいかに根付いていたかがよくわかる。
肉屋の「コロッケ」が生まれたのは関東大震災のあと
「肉屋の揚げたてコロッケ」という文化は、実は関東大震災(1923年)後に生まれたものだ。
震災後の1927年(昭和2年)、東京のお肉屋「チョウシ屋」が惣菜としてコロッケを販売し始めた。これが大人気となり、「肉屋でコロッケを売る」スタイルが全国に広まった。揚げたての安くてボリュームある惣菜として、庶民に愛される食べ物へと変化したのはこの時代から。こうして、コロッケは肉屋の定番メニューとして広がり、庶民の味方として定着していった。
じゃがいもコロッケは「和洋折衷」の傑作
コロッケの構造をよく見ると、日本らしさが随所に現れている。
フランスのクロケットはベシャメルソース(小麦粉とバターと牛乳で作るホワイトソース)が主役。一方、日本のじゃがいもコロッケはじゃがいもと炒めた玉ねぎと挽き肉が主役で、ソースもウスターソースをかけて食べる。これは明らかに日本食の感覚だ。
洋食の技法(パン粉をつけて揚げる)に、和食の素材感覚(じゃがいも・ウスターソース)を組み合わせた「和洋折衷」の逸品。日本人の「いいとこどり」の発想が生んだ料理と言えるだろう。
日常のどこで役に立つ?
この雑学、スーパーや肉屋でコロッケを見かけたときに使える。「これ、フランス料理じゃなくて実は日本生まれなんだよ」と言えば、家族や友人がちょっと驚くはず。
また「コロッケの日」の5月6日は、語呂合わせ(コ=5、ロッケ=6)から制定された記念日。この日に夕飯のおかずをコロッケにしてみるのも、ちょっとした豆知識の活かし方だ。
まとめ:コロッケは「日本が育てた世界に誇る惣菜」
コロッケの歴史をまとめると——
- 名前はフランス語だが、じゃがいもコロッケは日本オリジナル
- 大正時代はトンカツより高く、三大洋食の一つ
- 関東大震災後に「肉屋の惣菜」として庶民に広まった
- 和食と洋食が融合した「和洋折衷」の代表格
コロッケを食べるたびに、明治・大正の日本人が工夫して生み出した歴史を少し思い出してほしい。あの1個に、日本の食の知恵がぎっしり詰まっている。



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