「サンドイッチ4個と水筒で、大西洋を渡った男がいる」。そう言われてもにわかには信じられないかもしれない。でも事実だ。しかも、パラシュートもラジオも積まずに。1927年5月21日、チャールズ・リンドバーグがやってのけた大西洋単独無着陸横断飛行は、今もなお人類史上もっとも胆力のある挑戦の一つとして語り継がれている。

パラシュートを捨てた男
リンドバーグが乗り込んだ機体の名は「スピリット・オブ・セントルイス号」。ニューヨークのルーズベルト飛行場を飛び立ったのは1927年5月20日の朝7時52分(出発地の時刻)。目的地はパリ、距離にして約5,800km。
当時の飛行機の性能を考えると、これは文字どおり命がけの賭けだった。少しでも燃料を多く積むために、リンドバーグはパラシュートもラジオも積まなかった。地図の端を切り落とし、ノートの不要なページも切り取るほどの徹底ぶりだった。「大西洋の真ん中でパラシュートで降りても、助けに来る船なんてないんだから同じことだ」——それがリンドバーグの考えだった。
そうまでして積んだ燃料のタンクは、コックピットの真正面に配置されていた。そのため前方が一切見えない設計で、リンドバーグは左右の小窓から外をのぞくか、潜望鏡(簡易的な鏡)を使って前方を確認するしかなかった。

33時間、眠気との死闘
出発からわずか4時間で、リンドバーグは強烈な眠気に襲われた。それから着陸するまでの約30時間、睡魔と闘いながら操縦を続けたという。
眠気対策として、リンドバーグは海面で超低空飛行を繰り返した。波しぶきが顔に当たるくらいの高さまで機体を降ろすことで、緊張感を保って神経を目覚めさせようとしたのだ。
それでも終盤には幻覚を見るようになった。コックピットの中に幽霊のような人影が何体も現れ、耳元で何かをささやきかけてきた。後にリンドバーグ自身がその体験を手記に書き残している。長時間の単独飛行で極限状態になった脳が見せた幻覚とも、睡眠不足による一種の変性意識状態だったとも言われている。

10万人が空港に押し寄せた
1927年5月21日の夜10時21分(現地時間)、リンドバーグはパリ近郊のル・ブールジェ空港についに着陸した。飛行時間約33時間30分。大西洋を渡りきったのだ。(夏時間の導入時、時差は5時間になる)
彼を出迎えたのは、英雄をひと目見ようと集まったおよそ10万人もの群衆だった。機体が止まった瞬間、人々がなだれ込んできた。リンドバーグは引き倒されてもみくちゃにされ、機体の布を引きちぎって記念に持ち帰ろうとする人も続出した。この飛行がいかに世界を驚かせたか、その興奮がひしひしと伝わってくる。
ちなみに、このフライトには「ニューヨーク〜パリ間を最初に無着陸で飛んだ者に賞金25,000ドル(当時の価値で約6,000万円相当)を贈る」というオルティーグ賞が懸かっていた。リンドバーグはその賞金と世界的な名声を一夜にして手にしたのだが、彼が魅了されたのは、飛行機がアメリカとヨーロッパを安全につなげることを公に証明するという考えであり、同時に民間パイロットと商業航空に信頼性を与えることだった。

「翼よ、あれがパリの灯だ」の真相
リンドバーグといえばこの名言が有名だ。だが、じつはこれは日本語訳の「脚色」である。リンドバーグが手記に書いたのは「Is this Paris?(ここがパリか?)」というシンプルな確認の言葉だった。それが日本の出版社によって劇的な名台詞に意訳されたのだ。
33時間飛び続けてフラフラになった状態でポツリと漏らした「ここがパリか?」という言葉——原文の方が、むしろリンドバーグの人間くささを感じさせて味わい深いかもしれない。

飛行機に乗るたびに思い出したいこと
いまや飛行機は日常的な移動手段になった。LCCなら数千円で飛べる時代だ。でも空を飛ぶことがこれほど当たり前になったのは、リンドバーグをはじめとした命がけの挑戦者たちが礎を作ったからでもある。
次に飛行機で離陸する際、「約100年前、サンドイッチ4個で命がけの33時間を達成した偉人がいるんだ」と思い出してみてほしい。ちょっとだけ空が違って見えるかもしれない。

まとめ
1927年5月21日は「リンドバーグ翼の日」。サンドイッチ4個・パラシュートなし・指でまぶたをこじ開けながら33時間30分飛び続けたリンドバーグの大西洋単独横断は、航空史に永遠に刻まれる偉業だ。
「翼よ、あれがパリの灯だ」という名言は脚色だったかもしれないけれど、恐怖に打ち勝つこと、リンドバーグはそれを行動で証明した男だった。

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