江戸時代の日本で、象が長崎から江戸まで歩いていた——なんて言われたら、思わず「うそでしょ?」と思うだろう。でも、これは正真正銘の実話だ。しかも、その象は天皇に会うために大名並みの官位までもらっている。今回は、4月28日「象の日」にちなんで、約300年前に日本中をざわつかせた1頭の象の驚きの物語を紹介する。
4月28日が「象の日」と呼ばれる理由
1729年(享保14年)の旧暦4月28日、京都の御所で中御門天皇が象と対面した。これは、ベトナムからやってきた象が日本に初めて公的に披露された出来事として記録されている。象が日本の地を踏んだのはその前年・1728年7月、長崎の港だ。清国商人の鄭大威(てい・だいい)が、オス7歳・メス5歳の2頭の象を連れて来日した。
当時の将軍・徳川吉宗が「象を見てみたい」と希望したことが来日のきっかけだったといわれている。残念ながらメスの象は来日後まもなく亡くなってしまい、オスの象だけが日本各地を旅することになった。
長崎から江戸まで、約1400kmを徒歩
ここで驚きなのが、この象、長崎から江戸までの約1400kmをぜんぶ自分の足で歩いたということ。新幹線もトラックもない時代、象を運ぶ手段は徒歩しかなかったのだ。
象の歩く速さはおよそ時速4〜6km。1日に進める距離は限られていて、しかもエサは大量に必要。象は草食で、1日に食べる草や笹の量は驚くほど多い。沿道の宿場では、象のために大量のエサや水を準備して待ち構えていたという。長崎を出発したのは1729年3月、江戸に到着したのは同年5月末。およそ80日弱かけての、まさに『超ロング徒歩旅行』だった。
象を通すための『超厳戒態勢』
象が通る道では、当時としてはものすごく細かいルールが決められていた。例えば——
- 見物人が近づきすぎないように、道の両側に警備や見物人規制が敷かれた
- 見物人は静かにすること(象がびっくりしないように)
- 道に犬や猫を出さないこと
- 象の視界に牛を入れないこと(象は牛を嫌うとされていた)
初めて象を見る日本人にとって、これは大スペクタクル。沿道は人だらけで、まさに江戸時代版の『動物パレード』だった。
天皇に会うために『従四位』をもらった象
そして象は京都に到着。天皇に拝謁するわけだが、ここでひとつ問題が起きた。当時の朝廷のルールでは、位(くらい)のない者は天皇に会えない。象は当然『無位無官』である。
そこでどうしたか。象には『広南従四位白象(こうなんじゅしいはくぞう)』という称号が授けられたと伝わる。『従四位』は大名クラスの官位。つまり象は急きょ『お役人』に昇格させられて、晴れて天皇の御前に進み出ることができたわけだ。
※この叙位については後年の『江戸名所図会』に書かれた話で、当時の一次史料には登場しないため疑問視する研究者もいる。とはいえ『天皇に会うために象に位を授けた』という逸話が語り継がれていること自体、当時のインパクトの大きさを物語っている。
江戸に着いた象のその後
象は無事に江戸へたどり着き、将軍・徳川吉宗にも対面した。江戸では『象小屋』と呼ばれる専用の小屋で飼育され、見物客が押し寄せる人気者になった。象の浮世絵や置き物が大流行し、いわば江戸時代の『象ブーム』が巻き起こったのだ。
その後、象は1741年に中野村(現在の東京都中野区)に移され、晩年を過ごした。中野区には今も『象小屋跡』と伝わる場所があり、当時の名残を静かに伝えている。動物園で気軽に象を見られる今では信じられないが、当時の人にとって象は『SF級の珍獣』だったのだ。
まとめ:4月28日は、ちょっと象に思いを馳せてみよう
長崎から1400kmを歩き、位までもらって天皇に会った象。そんなとんでもない旅をやってのけた1頭の象がいたからこそ、4月28日は『象の日』になっている。
動物園で象を見たときに、ちょっとだけ思い出してほしい。彼らの遠いご先祖さまの中には、江戸時代の日本中をざわつかせ、大名と肩を並べた『お役人ゾウ』がいたのだ。これ、誰かに話したくなる雑学じゃないだろうか。



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