「たこ焼きにソースを塗らないと物足りない」と思っている人、ちょっと待ってほしい。実は元祖たこ焼きには、ソースが存在しなかった。
そして5月7日は、そんな粉もん文化を祝う「コナモンの日」だということを、あなたはご存知だろうか?

5月7日が「コナモンの日」の理由
「コナモン」とは、小麦粉・米粉・そば粉など、粉を使って作るあらゆる食べもののこと。たこ焼き、お好み焼き、うどん、そば、パン、餃子の皮……みんなコナモンの仲間だ。
5月7日が記念日になったのは、語呂合わせが理由。「5(こ)7(な)」でコナ、つまり「粉の日」というわけだ。
この記念日は、日本コナモン協会が2003年5月7日に設立した際に制定した。協会を作ったのは、生活文化研究家の熊谷真菜さん。きっかけは友人から届いた一通のメール。「なぜ大阪にたこ焼き博物館がないんでしょう?」という素朴な疑問が、協会誕生の引き金になったというのだから、面白い。
元祖たこ焼きにソースはなかった
たこ焼きといえば、たっぷりのソース・マヨネーズ・かつお節・青のりが定番だと思っているだろう。だが、元祖たこ焼きはソースをかけない、だしや醤油で味付けされたスタイルだったのだ。
たこ焼きを発明したのは、大阪の老舗「会津屋」の初代・遠藤留吉さん。1933年(昭和8年)、こんにゃく入りの「ラジオ焼き」を牛肉入りに改良してヒットさせた。その後、1935年(昭和10年)ごろ、明石焼きにヒントを得てタコを入れ、「たこ焼き」と名付けた。これが日本初のたこ焼きだ。
会津屋のたこ焼きは今でもソースなしが基本スタイル。粉生地自体に味をつけてあるので、そのまま食べるのが流儀だ。ソースをつけるスタイルが広まったのは、たこ焼きが全国に普及する中で、人々が「もっと味のバリエーションを」と工夫した結果だという。

なぜ大阪に粉もん文化が根づいたのか
大阪がコナモン文化の聖地になった背景には、意外な歴史がある。
太平洋戦争中の米不足が大きなきっかけのひとつだ。米が手に入らなくなった大阪の人々は、代わりに小麦粉を使った料理を工夫するようになった。そして戦後、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の食糧支援として小麦粉が安価で大量に配給されると、大阪を中心に粉もん料理がさらに発展した。
お好み焼きが「食事」として根付いたのも、食糧難時代に「安くてお腹いっぱいになる」という実用性があったからだ。単なる屋台飯ではなく、生活の知恵から生まれた食文化だったわけだ。

東西を分けた「うどん vs そば」の謎
粉もん文化のもうひとつの顔が、うどんとそばだ。日本では古くから「西のうどん、東のそば」という文化圏が形成されてきた。
これが江戸時代初期にほぼ定着したとされている。関西では甘めの出汁とうどんが愛され、関東では濃い醤油味とそばが根付いた。ちなみに、今でも「そば」といえばそば粉100%が当たり前に思われがちだが、小麦粉を混ぜるようになったのは江戸時代の享保期(1716〜1736年)から。それ以前は全量そば粉の「生(き)そば」だったというから驚きだ。
うどんの歴史はさらに古く、奈良時代(700年代)にはすでに小麦の栽培が行われており、平安時代には中国から伝わった「唐菓子」の中にうどんの原型となる麺類が含まれていたとされる。

コナモンは身近な食の王様
あらためて考えると、私たちの食卓はコナモンだらけだ。朝食のトースト、昼のうどん、おやつのクレープ、夜の餃子——すべて粉が主役の料理だ。
休日のたこ焼きパーティーが盛り上がるのも、コナモンが持つ「みんなで囲む楽しさ」があるからかもしれない。次にたこ焼きを食べるときは、「ソースなし・醤油味」の元祖スタイルを一度試してみてほしい。意外なおいしさに出会えるかもしれない。
みんな違って、みんな良い!

まとめ
5月7日は「コナモンの日」。「5(こ)7(な)」という語呂合わせで生まれた、粉もん文化を称える記念日だ。
たこ焼きの元祖にソースはなく、大阪のコナモン文化は戦後の米不足と小麦粉の普及が生んだ。そして気づけば、私たちの毎日の食事はコナモンだらけ。
今夜の晩ごはんがうどんでも、パンでも、それはすべて粉もん仲間のひとつ。ちょっと誇らしい気持ちで食べてみてほしい。

*こちら、近しい方々にしか聞いていない、かなり自由度高めのタコパレシピです。正統派の方はやさしく見守ってください。


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