7月20日は「ハンバーガーの日」。1971年のこの日、日本マクドナルドの第1号店が東京・銀座にオープンしたことにちなむ記念日だ。
今では駅前にも郊外にもある身近な店だが、その始まりはかなり型破りだった。第1号店はわずか39時間の工事で完成し、しかも客席はゼロ。落ち着いてポテトを食べる場所すらない店から、日本のハンバーガー文化は始まったのである。
日本1号店は、なぜ銀座だった?
アメリカのマクドナルドは、車で立ち寄る郊外型店舗が得意だった。そのため、日本でも当初は神奈川県の茅ヶ崎に第1号店を出す案があったという。
しかし、日本マクドナルド創業者の藤田田は、まだ知名度がほぼなかったハンバーガーを広めるには、郊外よりも「流行が生まれる場所」がよいと考えた。そこで選んだのが、東京・銀座の銀座三越1階だった。
今でこそハンバーガーはおなじみだが、当時は「ハンバーグ」と言い間違える人も多く、シュウマイの一種だと思って土産用に大量購入する人までいたそうだ。未知の食べ物を銀座の一等地に置き、まず話題にする。かなり大胆な作戦である。
店舗づくりの制限時間は39時間
銀座三越への出店には、厳しい条件があった。百貨店の営業を邪魔しないよう、日曜日の午後6時から火曜日の午前9時までに工事を終えなければならなかったのだ。使える時間は、たったの39時間だった。
ぶっつけ本番では、とても間に合わない。工事スタッフは別の場所に実物大の店を建て、解体し、また建てる練習を繰り返した。3回目の練習では36時間で完成できるようになり、ようやく本番へ。約22坪の小さな店舗に70人を動員し、無事に時間内で完成させた。
ハンバーガー店の開店準備というより、制限時間つきの巨大パズルである。壁や設備の順番を間違えれば、火曜日の朝に間に合わない。ファストフードの店は、作る前からスピード勝負だったのだ。
第1号店には座る場所がなかった
銀座店はテイクアウト専門店で、客席がなかった。買った人たちは、銀座の歩行者天国などでハンバーガーを片手に食べ歩いた。
当時の日本では、歩きながら食べることを「行儀が悪い」と見る声もあった。それでも、海外の新しい文化に憧れる若者たちにとって、銀座でハンバーガーを食べる姿そのものが新鮮だった。食べ物だけでなく、食べ方までファッションになったのである。
なお、客席を備えた最初の店舗は、銀座店のわずか4日後に開店した代々木店だった。今のマクドナルドからは想像しにくいが、日本第1号店では店内でゆっくり過ごすことはできなかったのだ。

ポテトもシェイクも「未知の食べ物」
当時、驚かれたのはハンバーガーだけではない。細長く切ったジャガイモを揚げたマックフライポテトも、独特の食感を持つマックシェイクも、多くの人にとって見慣れないものだった。
現在の私たちは「ハンバーガーにはポテトとドリンク」と自然に組み合わせる。しかし1971年の銀座では、その一つひとつが新しい体験だった。店は小さくても、並んでいたのは当時の人にとっての“未来の食事”だったと言える。

39時間の小さな店が変えたもの
日本のマクドナルドは、広い駐車場を持つ郊外店ではなく、銀座の22坪・客席ゼロの店から始まった。商品を売るだけでなく、まず人が集まる場所で話題をつくり、新しい食文化として見せたことが大きかった。
7月20日にハンバーガーを食べるなら、少しだけ1971年の銀座を想像してみてほしい。目の前の一個は、39時間の突貫工事と、未知の食べ物に挑戦した人たちの好奇心につながっている。いつもの味も、少し特別に感じられるかもしれない。
参考資料
マクドナルド公式「マクドナルドの歩み」
日本マクドナルド50年の歴史「マクドナルドの窓からのぞいた日本」
日本全国のいちばん店を訪ねて「代々木店」


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