難波はなぜ「なにわ」と「なんば」?大阪地名の謎

○○の日
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大阪の「難波」は駅名では「なんば」と読む。ところが「難波宮」は「なにわのみや」、「難波橋」も「なにわばし」だ。同じ漢字なのに、どうして読み方が変わるのだろう。

さらに「なにわ」には、難波、浪速、浪花、浪華という何種類もの表記がある。7月28日の「なにわの日」に、大阪の名前に詰まった海と港の歴史をひもといてみよう。

7月28日は「なにわの日」

7月28日が「なにわの日」なのは、数字の728を「な・に・わ」と読む語呂合わせからだ。

大阪市浪速区では、地域の多彩な魅力を再発見し、広く知ってもらうため、2007年度に7月28日を「なにわの日」と定めた。記念日に合わせ、音楽や文化、まち歩きなど、地域の魅力を伝える催しが行われてきた。

「なにわ」は単なる大阪の愛称ではない。現在の「大阪」という地名よりも古い時代から使われ、日本の歴史書や和歌にも登場する名前なのである。

昔の大阪は海のすぐそばだった

古代の大阪を想像するとき、現在の地図をそのまま思い浮かべてはいけない。遠い昔は、上町台地のすぐ西側まで海が入り込み、周辺は「難波江」や「難波潟」と呼ばれていた。

その後、大和川や淀川が運んだ土砂が積もり、浅瀬や洲ができた。やがて大小の島が連なる「浪速八十島」が形づくられた。「八十」はきっちり80個という意味ではなく、たくさんあることを表す言葉だ。

つまり、なにわという名前の背景には、波、入り江、干潟、島という水辺の風景がある。大阪を「水の都」と呼ぶ歴史は、川が多いというだけでなく、土地そのものが水と一緒に生まれたことにもつながっている。

難波・浪速・浪花・浪華は全部「なにわ」

「なにわ」は時代や作品によって、難波・浪速・浪花・浪華などと書かれてきた。国立国会図書館の資料でも、「なにわの葦」という言葉にこれら複数の表記が確認できる。

音は同じでも、使う漢字によって印象が変わる。「浪花」は水辺の華やかさを感じさせ、「浪華」は商都のにぎわいを思わせる。「浪速」には、波の速い場所という説明が結びつけられてきた。

ただし、「なにわ」という音の本当の語源には諸説があり、決着していない。「波が速い場所」「魚が多く集まる庭」などの説があるが、どれか一つを正解と言い切るのは難しい。古い地名ほど、その誕生を見ていた人の日記が残っていないのである。

「なんば」は「なにわ」が変化した?

では、現在の繁華街や駅名で使う「なんば」はどこから来たのだろう。

大阪市浪速区の資料によると、「難波」という字は古くから「なにわ」と読まれ、「なんば」という読みも平安時代の歌謡に見られるという。長いあいだに「なにわ」の音が変化したという見方がある一方、別の地名に由来するという説もあり、こちらも完全には決着していない。

現在は、難波中なら「なんばなか」、浪速東なら「なにわひがし」と読む。近い場所に、古い読みと変化した読みが並んで残っているのだ。

同じ「難波」でも橋は「なにわばし」

読み分けの面白さを体験できるのが、大阪市中心部に架かる難波橋である。漢字だけを見ると「なんばばし」と読みたくなるが、正解は「なにわばし」だ。

一方、南海電鉄や大阪メトロの難波駅は「なんば駅」。同じ二文字でも、橋と駅では読み方が違う。

大阪を訪れたときに迷ったら、現代の繁華街や駅は「なんば」、古代の大阪全体や歴史的な名前は「なにわ」と覚えると、おおよその見当がつきやすい。ただし、地名には例外があるので、案内表示のふりがなが最終回答だ。

なにわは古代の国際玄関だった

古代の難波には港があり、中国大陸や朝鮮半島と行き来する交通の中心だった。外国から来た人や品物、文化が、難波の港を通って日本へ入ってきたのである。

さらに、7世紀には難波宮が置かれた。現在も大阪市内には難波宮跡が残り、ビルが並ぶ街の中で古代の都の広さを感じられる。

今のなんばが鉄道や買い物、観光で多くの人を迎える街なのも面白い。時代が変わっても「人が行き交う玄関」という性格は受け継がれているように見える。

地名は昔の風景を保存している

難波、浪速、浪花、浪華。表記が多いのはややこしいが、それだけ長いあいだ多くの人に使われ、愛されてきた名前ともいえる。

7月28日に誰かへ話すなら、こう伝えてみよう。「難波は“なんば”だけでなく、昔は“なにわ”と読む大阪全体の名前だったんだよ」。地名は単なる住所ではない。埋め立てられて見えなくなった海や、古代の港の風景まで保存する、短い歴史書なのである。

参考資料

大阪市浪速区「なにわの日のイベント」
大阪市浪速区「区のおいたち」
大阪市浪速区「昔の難波」
大阪市北区「難波橋」
大阪市「大阪市の歴史」
国立国会図書館「なにわの葦」

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